私の珈琲の歴史は昭和50年(店主高校生)頃からの珈琲へののめり込み・・に始まります。

各地の珈琲店を飲み歩き、自分でも小さな鍋や、金網の炭火焙煎器を作って楽しみ、やがて珈琲愛好会(ジャスミン)を立ち上げ、友人達と各地の珈琲屋を飲み歩きました。そうこうして25歳で作った店がもみじ苑でした。当時は珈琲屋の色合いが強い飲食店でしたが、やがて産地から関わることの難しさを痛感した事と、茨城の県北が日本一の高品質の玄蕎麦の産地である・・といった事から珈琲から、産地から関われる蕎麦へと急速に切り替えていきました。

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珈琲愛好会(ジャスミン)を立ち上げ、盛んに地方の珈琲屋さんを飲み歩いていた時に、茨城県の旧美野里町にあった高齢のマスターがやっていたレストランあざみと出会います。ここのマスターが淹れてくれるサイフォンの香り高い珈琲に引き寄せられ、大子から美野里までの80㌔(車で約2時間)を、毎回友人・知人を誘って飲みに通いました。

そんな、高齢ではあっても珈琲には頑固一徹で、ミルクを要求すると(帰ってくれ・・)笑・・と御客様に言ってしまうくらい恐~い、それでいて目の奥では温かく迎えてくれたマスターの人柄に惹かれ、いつかは自分もそんな珈琲屋をやってみたいと思うようになります。いつかは、あざみのマスターのような遠くから飲みに来てもらえるような店・・。が、私の店がやっとの思いで完成した(昭和59年)頃、マスターは病気で他界してしまいました。

マスターが珈琲と共にいつも出してくれた、ピーナツと高価なビーフジャーキー・・、これを摘まみながら飲んだ珈琲の味は勿論今でも忘れません。そんな味と雰囲気を目指してひたすら焙煎を頑張っております。現在はあざみから譲り受けた骨董価値の出そうなロイヤル3㌔焙煎機と開店当時に購入した1㌔焙煎機を駆使しております。

現在は、どこでも焼きの深いフレンチの一歩手前くらいの味が好まれるのか、全国的に深い珈琲が主流になってますが当店では、比較的ミディアムローストの軽め??(あざみの珈琲)のサイフォンの味を目指しております。深い珈琲に慣れた御客様からは薄い・・と良く言われる事があります(笑)が・・。

暇な時間でしたら、ドリップで濃いめに淹れることも可能ですので従業員にお尋ね下さい。

                 湧き水珈琲(水へのこだわり

飲食店は水が命・・です。一番肝心な水へのこだわりを避けて通ることは出来ません。

当店ではこの水にしっかりと向き合いたいと、平成7年と平成16年にそれぞれ100㍍、120㍍の深井戸を2本掘りました。かかった経費は高級外車を買えるくらい・・。しかし、その効果はてきめんで店でのあらゆる場面でこの井戸水が大活躍しお客様からも大変喜ばれる存在となりました。命の水から関わり、そういう仕事(喫茶・蕎麦・流しそうめん・天然かき氷・・等々)を通してお客様の笑顔を見られることに無上の喜びを感じております。この水は平成7年に水場を設け開運の水と命名して皆様にも自由に飲んで頂けるようにしました。

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